咎もなく誉もない日々

そうでない人がそれなりにやっていくブログ

中年、着るものがない問題について

表題の話がちょっとバズってて、その解として、たいてい「素敵なショップとの出会い」「似合う色やシルエットの発見」「センスのよいメンターに褒められて開眼」みたいな方向に行きがちなんだけど、なんかちょっとそこに違和感があったりします。いや、それが好きならいいけど、そこまでファッション好きで、ファッションこそが人生の楽しみ!ってな人ばかりじゃないよね。

まず、着るものがない問題の前提として「素敵でおしゃれな大人の女性であれ」という社会的要請があると思うんですが、その要請って本当に意味あるもんなんでしょうか。私は人と合うときにその人が「おしゃれで素敵」とはあんまり思ったことなくて、もうちょっとふわっとしたその人のあり方みたいなのを見てるなーと思います。たぶん自分だって、いつもおしゃれに思われたいってのはさほどない。むしろ「楽しそう」ぐらいに思われていたいというのがある。

「別に素敵でおしゃれな大人の女性でなくてもいい」と思えば、必要な要件は同年代のおっさんのおしゃれに求められる要素と同じく最低限の清潔感とTPOぐらいになるし、それならとにかく、着心地がいいことと、自分に対するノイズがないことだけを考えればいい。「大人のおしゃれ」に関する社会からの要請はもう無視しようと思いました。で、黒くてシンプルな服と靴だけをベースにしたら買った服は全部「着る服」「好きな服」になったし、どんなシチュエーションでも素材感とシルエットだけ考えればいいからむちゃくちゃ楽になりました。

とはいえ「私はそれが好きなんだし、それでええやん?」にいたるまでにそれなりに葛藤はありました。

自分の中に根強くインストールされた「素敵な大人の女性であれ」勢力が、往々にして「大人こそきれいな色が似合う!」「もっと好きな色を着ればいいのに!」「太ってるからといって黒い服で隠さなくてもいいのよ!」「無難だから黒ばっかりってのは自分に自信がない証拠!」「カラータイプサマーが黒を着るのはもったいない!きれいなパステルがお似合いなのに」とか言ってくるし、黒くてシンプルな服に対する風当たりってわりと強い。
あと、同じ文脈で「大人は上質なものを」とか言うけど、私は粗忽なので、あんまり良いの着ると落ち着かない。あえて中古で安いの買って着るぐらいのほうが気楽。さらに、服をショップに買いに行くこと自体そんなにときめきがない。子供の頃から決定的にない。できれば自動的に支給されたり、人から譲られたり、たまたまあったものを衝動買いした、みたいなほうが好きだし、「苦手なのに無理にやる意味ってそこまである?」って思うし。

でも、それもまた私の個性じゃないですか?

こう考えると「おしゃれは個性」なんていっておきながら、おしゃれ界隈からお許しがでる個性の範疇って異様に狭いんではなかろうか。(しかも人によって言うこと違う)
だから着るものがないし、服装に自信持てない人が多いんだと思う。でも、中年すぎたら黙ってても規格からはみ出た一点ものになっちゃうんだし、服なんかに個性を預けなくていいんじゃないの?とあえて言いたいし、服で自分をよりよく見せようとか、自分らしさを表現しようとか、そういうのからいったん降りちゃってもいいんじゃないかと思うんですよね。言ってみりゃ「自分がおもしろいから服はつまらなくていい」ぐらいで。