咎もなく誉もない日々

そうでない人がそれなりにやっていくブログ

2025年9月25日

誕生日。アラフィフは終わり、アラ還になった。

彼氏と突発的にどっか行こうという話になってズル休みのために電話をかけようとするが、かける先がよくわからないという夢を見た。出身中学、出身高校、最初に働いた会社、そういうところに連絡しようとしていたがネットで調べても連絡先がでてこないし電話しても全部ロクにつながらず、最終的に最初に働いた会社に伝言を頼むも、なんかおかしいことになったと思いオフィスまで出かけ、最初に働いた会社の社長と久しぶりに会うという夢を見た。もう30年経過するのに社長は当時のままで、なんか蝋人形みたいだなと思った。ぐったり疲れて起床。

夢の中ではなんかわからないけどとにかくどこかに連絡しないといけないという気持ちはあるのに、今働いてる会社のことを全く思い出さなかった。人の記憶って不思議。たぶん認知症になるとこんな感じなんじゃないの?ことあるごとに高校時代の夢みるから、たぶん自分はそのあたりまで退行すると思う。永遠の17歳だ。

明日の朝は定期検診(腎機能が落ちてるのと高脂血症で経過観察のため近所の医院に定期的に診てもらうことになってる)なのでお酒もケーキも明日やることにしている(そうしないと死ぬ)
腎臓に関しては悪くなるともう回復しないものらしいので、死ぬまで長くて50年、透析に至らない程度に計算しつつやっていく必要がある、そういう状態になった。
基本的に飲食に関してはやるときはとことんやりたい。なのでその頻度を下げ、なるべく連続しないようにするというのが一番現実的なラインかと思う。「パーティは1回に取りまとめる」のは一つのライフハックかもしれない。
体にしてもお金にしても物質的な資産全部において、麻雀の東南戦でいうと明らかに南場、それもおそらく自分の親は終わった状況であり、残りの持ち点を計算しつつやりくりしていくということである。
しかしこの人生が東南戦一局の勝負なのかどうかは誰にもわからんのよな。来世や死後という次局も想定していかないと。

ブログタイトルの「咎もなく誉もない(无咎无誉)」について。
これは易経のフレーズで、坤為地の四爻、沢風大過の五爻にそれぞれ出てくる。怒られもせず褒められもせず、というとこですね。
坤為地の四爻は「括嚢。无咎无誉。」袋の口を縛る=言動を慎む、節約する、みたいな感じで、四爻=偉い人を補佐する立場にあるなら言動は慎み、目立たなくしておきなさいよという処世術で、そうすれば毀誉褒貶から逃れて穏やかに暮らせますよ、という解釈がまあ一般的かとは思う、その一方、沢風大過の五爻は「枯楊生華。老婦得其士夫。无咎无誉。」枯れ木が花を咲かせ、ババアがイケメンゲット。これも咎も誉もないとされているんです。しかし、世の易経解説サイトでは「枯れ木に花が咲いても単なる狂い咲き、ババアが今更男を作っても子どもは生まれずどうにもならない」と解釈し、「文句を言うようなもんじゃないけど、みっともないねー」と若干バカにしたトーンになる。一方、同じく沢風大過の二爻では「枯楊生(禾弟)。老夫得其女妻。无不利。」枯れ木がひこばえを生じて、ジジイが嫁ゲット、悪いことはない(良い)。ってあって、ジジイは子ども作れるから良し、花は枯れるがひこばえはさらに伸びる、そういうことですね。ちなみに沢風大過の五爻は変じて雷風恒(倦怠期の夫婦の卦)、沢風大過の二爻は変じて沢山咸(ラブラブカップルの卦)、この年になると前者のほうが気楽ですけどねえ。

個人的には、无咎无誉はそんな悪くはないと思ってるし、老いて華やぐのは、中間管理職が黙ってるのと同じく、毀誉褒貶から遠ざかる処世じゃん、と思わなくはない。勝手に楽しそうに生きてるに越したことはない。
まあ、偉い人の腰巾着は威張りたがり、イケメンゲットしたならのろけたがるのが世の常、人の性で、そうなると咎も出てくる、ってことなんでしょうね。

追記
大学の時に就活について卦を立てたら坤為地(何爻だったかは忘れた、おそらく二、三、四のどれか)が出て、この会社に誘われて面談しにいったら役員室に「積善余慶」って額がかかってて「あーーー!」ってなったのだった。今より社会不適合だった私をどうにか使っていただけて本当に感謝している。
今どうなってるのか調べたら、事業規模を縮小しつつもしっかり存続していた。私が働いた会社はだいたい潰れないというジンクスがある。