服装とか身繕いについて「イタい」という価値観は持ち込みたくないと思っていたんだけど、数年前の自分の画像をたまたまたくさん見ることになり「なんだよ、この痛々しい中年は」と思ってしまった。
とにかく、選ぶアイテムとか髪型とか(誰にも見せないが)自撮りで作る表情が、全体的に痛々しい。その当時の自分の痛みがわかるので、余計に痛々しいのだ。
30代後半で離婚して40代半ばまでの10年間、自分はすごい迷走してたと思う。そもそも子供がもうひとりほしくて再婚がしたかったのだ。そして闇雲に恋愛していて、たいてい片思いの独り相撲で、とにかく相手に自分の持ってるよきものを出せる瞬間にすべてお出ししようとして全部盛りになってた、という感じがある。気持ちはわかるが、痛々しい。
受け取ってもらえるかビクビクしながら一瞬のチャンスに渾身のボールが投げられるよう緊張して、なんでもするから愛されたいと願いそれが叶わず傷ついて、自分が蝕まれていたのが写真を見てると伝わってくる。
たぶん「イタさ」というのは外見ではなくてアティチュードだ。内面に痛みをかかえた人間が渾身の力でコーディネイトをした結果として、見た目も行動も痛くなるだけの話。アイテムに罪はないし、イタくなくなろうとして無難なものを選ぶ必要もないと思う。むしろ自分の痛みに向き合わないと根本的解決にならなくて、それがとてもむずかしい。
主婦向けコミュニティなんかでは「アラフィフで赤いバレエシューズは痛いですか?」「30歳すぎたら膝丈スカートはないよね?」みたいな投稿がすごくあるけど、結局はそれを選ぶにいたった生き様の問題なのだ。どこの誰からも怒られないような、年代と社会的立場にあった服を身に着けていても、それが自分の痛い内面から選んだものであれば、やっぱり痛く見えると思う。
そういう痛い季節を過ぎて、ちょっと早めに閉経して子供が望めなくなって、いろいろな憑き物が落ちたら、寿命以外のタイムリミットはあんまり考えずに付き合える相手ができた。そこからの写真は、むちゃくちゃ良い顔で笑っている。あとから見たらイタく見えるかもしれないが、まあ今はそれで良いと思っている。
渾身のちからで頑張ってイタくなっても、それだって人生だしな。