3LDKのマンションに娘と2人で暮らしてるけど、娘も社会人2年目となり自立することになった。近々25年ぶりぐらいの1人ぐらしが始まる。
もともと、インターネットで雑にメンバーをつのって適当に家飲みするような遊びが好きだった。私の母親もお客を呼ぶのが好きでしょっちゅうホームパーティとかしていたので実家には大きいダイニングテーブルとベンチチェアのセットがあった。しかし実家が没落?して家は売却、母も年をとりあまり人を呼べる体力もなくなったので、持て余していたそれを譲り受け人を呼べるLDKにしていた。雑な飲み会は楽しかった。
ところが、ここ数年、仲良くしていた人たちは結婚や出産や転居とかでライフステージが上昇した結果、気軽にフラっと遊びに来るような付き合いでもなくなってきた。SNS も広くなったし、昔みたいに Twitter や Facebook で呼びかけて人を集めるのもさまざまなしがらみがあり難しい。本当は定期的に鍋とかタコパとかしたいけれど「誰と誰と誰を呼ぼう」みたいな選別ができない性格でもあり、さりとて周囲から「鍋しましょうよ」とか言われるような人望もない。
そもそも、自分ってそこまで社交的なのか?という気もする。
子どものころ家によく近所の子どもが集まってたけど、途中からうるさくて頭が痛くなり別室に引きこもって本読んだりしてたのを思い出す。自分のキャパとしても、ちゃんとした食器でおもてなしできるのもきちんと気配りできるのも、どんなに頑張っても自分のほかにあと3人まで。なのに母親譲りの10人ぐらい人を呼べるサイズで家を運営してるのもどうかと思う。
たぶん、私の場合は決まった人との社交より未知の人と話したりするランダムさとかハプニングのほうが好きなんだと思っている。しかし、このコロナ禍でランダムに人が集まること自体難しい。なにより、人が来ること前提のLDKでぽつんと食事したり飲んだりするのがちょっと精神的に厳しくなってきた。それなら、これからも一人で暮らすことを想定して、思い切ってリビングセットを今娘が使っている玄関脇の小さめの部屋に運び込んでしまおうと思った。
京都の町家は玄関の脇にテーブルと椅子が置いてある小さい部屋があって、出入りの業者や近所の人が来たときはそこで相手する。家の奥には入れない。この部屋、なんとなくそういう使い方ができるような気がしてきた。リビングや台所を散らかしていても、その部屋を使えば気楽だし。
で、リビングは気に入ってるソファとローテーブルだけにして絨毯敷いてテレビ置くんだ。Amazon Prime 見て、長らくやってなかったゲームもやる。P5R、買ったのに全く手つかずだし。要は自分1人が最大限人生を楽しむために最小構成の部屋にしたい。たまに親しい人1-2人を呼べればいいかなぐらいを想定してやっていこうと思う。なんか楽しみになってきた。