咎もなく誉もない日々

そうでない人がそれなりにやっていくブログ

叶わなくても望んでいいんじゃないかという話

この季節ですが、来年の手帳のメモ欄にウイッシュリストを作って、やりたいこと、なりたいもの、欲しいものを書きまくるというのが恒例になってる。こういうのスピ臭くて痛々しいと思う向きもあるかも知れないけど、欲望はどこかでちゃんと言語化して開放しておくべきだと思うし、後から見返すとむちゃくちゃ気づきがある。

一番おもしろいのは1年経った時点では「そこまで欲しくなかった」「別にやりたいわけではなかった」「ブームが去った」みたいな項目で、どうして1年前は欲していたのかって考えると、案外、外からの刺激でなんというか「望まされていた」ような事柄も多いものだと思う。どうしてを掘り下げることで本当の自分の欲望が垣間見えたりもする。モノが欲しいと思っていたけど、実はそのモノを持っている人の生活が羨ましかったのだとか、往々にしてあるのだ。

あと、ずっと叶わなくて長年書き続けてることというのもあるわけ。20年とか望んでるとすると人生100年だとしてもその5分の1ぐらいは望み続けてることなのだから、ある種人生のテーマといってもいい課題よね。「持ち家に住みたい」とか、かれこれ20年は書き続けた願いだったけどなんとかなった。

一方、軽い気持ちで書いたことが外からしゅっと叶えられることもある。「良い感じのタンスがほしい」って書いたら実家の母がオーダーしてくれたりとか。もちろん自力で頑張ってどうにかしたこともある。欲しいものはたいていお金貯めて買ってるし、お金でどうにかなることは、自分ががんばればどうにかなる。

本音を言えば、私のためにお金を湯水の如く使ってくれるお金持ちでもいたらいいなとは思うけど、その人の期待に答えられる自分になるのも荷が重いと考えてしまい、それより自力のほうが楽なので逃げている。(とはいえ、出産のご褒美にダンナがバーキン買ってくれたみたいな話を聞くと、うらやましくて「ムキー!」ってなるのは否定しない。心が弱いので、そういうマウンティングタイプのツイートが流れてくるとひっそりミュートしてたりする。)

話を戻すと、これまでの経験では、書きなぐった事柄のだいたい1割ぐらいはその手帳を使い切る前になんとかなっていて、3割ぐらいは10年ぐらいのスパンでなんとかなってて、半分ぐらいは興味が無くなってる。逆算すると、どうしても叶わず長年追い続けてるのが1割ある感じ。

1割叶うとすると、まあ引き寄せ打率は良いのではなかろうかと思ってる。100書いて10、1000書いたら100だもんね。でも、叶わなかったのが9割って考えたら「引き寄せなんて嘘じゃん」ってことになるかも知れない。私は1割を実現するためにやってるし、もしかすると、半分興味無くなってるという事実を見るためにやってるので、実現可能性はあんまり考えてない。人生どうなるかわからない。明日石油王に求婚されるかも知れない。しかし宗教上の問題でイスラム改宗は難しいな。

10年ぐらい前に離婚した時、いつかは再婚したいって思って、その相手とか望む結婚生活とかの条件を挙げたノートがでてきたんだけど、書いてるうちに「いまのなし!」ってなって全部バツがついてて面白かった。どっかの雑誌で見たようなシャレオツライフスタイルを想定して書いてたんだけど、そこにいる自分が全然イメージできないことに気がついてそうなったのを記憶してる。なんかそういう気付きが楽しいし、バツつけたあとに出てきた望みは「なるほどねえ」って感じでしっくりくるものだった。

正直、自分の中の欲とか上昇志向みたいなものを、否定しなくていいんじゃないかと思う。望むだけで叶わなかったのであれば、ずっと望んでもいいんだと思うし。

私はだいたい旅行の日程が短くて「ここも行きたかったけど今回は行けなかったね」みたいな感じで毎度帰ってくるんだけど、そうやって、名残惜しいぐらいが、また行こうという楽しみにもつながっていいんじゃないかと思うの。「旅は遊び足りないぐらい、酒は飲み足りないぐらいがいいのよ」って連れは言う。望みも、叶い足りないぐらいがいいんじゃないかなあ。