前に、月曜断食の記事で「ダイエットの最初に、痩せる意味、メリットを本音ベースで書き出す」というメソッドを書いた。
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今回、いろいろ書き出しているうちに、自分の中に、体型や顔へのコンプレックスのせいで美容に投資することや美容好きであることが何となく後ろめたく心が痛いという感情があることに気づいた。これが思いのほか大きい枷になっていて、美容友達みたいなのもなかなか作りづらく、BAさんや美容師さんみたいな美のプロたちとの人間関係も苦手だった。それって、すごくパフォーマンス悪い。ブログ書いてても今ひとつ歯切れよくない要因でもあった。
ダイエットって、依存とか嗜癖から抜けて日々の生活を整えるだけの話、お腹が空いたり面倒くさかったりしんどかったりするのを我慢するだけの話なのだ。そういう最低限の努力をできないくせに美容雑誌や美容本を読み、化粧品を買いあさり、時にエステなんか行っちゃったりする自分が、なんかバランス悪いし好きになれなかった。
太ってると、一般的なデパートやセレクトショップで試着して服を買えない。サイズ展開がわからないと自分でも入る服があるかわからないから怖いのだ。必然的にXLまで展開のあるファストファッションや通販が中心になってしまう。まあ今はファストファッションも市民権あるけれども、やっぱり「ちゃんとした服着てないのにコスメにだけお金かけてどうするの」とか「私みたいなデブスがコスメの話してもなあ」と、やっぱりどっかで思ってた。
好きなものを好きと胸を張っていえない人生のままで良いのかと思った。ましてやちょっと好きというレベルではなく、ほんの子どものころから普通の人がドン引きするレベルで好きなんですよ。コスメや美容の話だったら何時間だってできると思う。それなのにこんな感じでこじらせてるのは心理的に不健康だと思う。
もちろん、太っていても、渡辺直美さんみたいにきれいにメイクしてお肌もつるつるで個性的でかわいいファッションでコメディアンヌとしてのセンスがあって体型全部ひっくるめてすごくチャーミングという方向性だってある。他人がそうであるのは別にいいんだけど、自分の本質はそちら向けではない。服の好みはシンプルでクラシックで身体のラインが出る女っぽいのが好き、性格だって決してふくよかでおおらかではないのだ。
前に、おかざきななさんのワークショップで、参加者がグループつくってそれぞれお互いの魅力を挙げていくメソッドをやった。私は「料理がうまそう」「おおらかでさばさばしてそう」みたいな感じでみんなに言われて、そりゃデブだからだろ!とも思った。自分の思う自分と周囲の求める自分にギャップがあるのはつらい。料理は好きだけど、そこまでおおらかでもない。でも、ワークショップの後、ななさんからは「実は華やかでセクシーなのが好きでしょ。だけど、自信がなくてって地味に親しみやすくしようとしてる」って指摘されて「はい、そうですね」ってなった。あの人はすごいと思う。
そりゃ、顔にもコンプレックスはある。でも、わりと若いころから口角を上げたり眉間を緩めるなど意識的に表情トレーニングやリンパマッサージをやってきたり、スキンケアも自分に合ったものを続けてることもあり、年の割には良いコンディションが保てていると思う。歯の矯正も大人になってからやりなおしたし、自分で作った自分の顔という責任というか自負みたいな気持ちがある。前にエステ行った時に「良い表情筋のつきかたしてます」って褒められたのはちょっと誇らしい。身体も同じで、数字とかサイズとか以前に、自分らしく、ちょっと誇りに思える身体になりたい。
本当は、健康で日々楽しく暮らせるのであれば、誰もが無理に痩せる必要なんてないと思うのだ。体型だけじゃなくて化粧とか服装とか髪型とかに手をかけなくとも、自分らしく楽しく生きられるのであれば何も問題はない。そんなのは個人の自由だし、ルッキズムには断固反対だ。しかし、自然に放置してたるみ老化していくことが自分らしくなくて心が痛むのであれば、「そのままでいい」ってのは妥協にすぎないし、負け惜しみのすっぱい葡萄だから、できる努力はすべきだとも思うし、自分はそっち側の人間だと思った。
この話、前にも書いてた。
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