地方を拠点にしてて、月に1度ぐらい東京に行くと、東京ってなんか異質だなあと思う。
東京で起こっていることや東京の人たちが考えていることが、ほぼほぼイコール日本のこととして扱われていることが、これまで当たり前と思ってたけど、今は、そういう違和感を通じて、実際にはかなりのズレがあることを体感している。
広告一つとっても、東京の電車に乗ったら液晶画面に動く広告で、毛を抜けだの毛を生やせだの痩せろだの本当にいろいろ忙しい。その一方、関西の電車は、都市部を走る路線でも、たいていお祭りだの梅見だのカニツアーだの、のどかな感じ。路線によっては債務整理とかだけど。
京都のまちなかには景観条例とかもあって、あまり大きくて派手な広告が存在しない。そして、夜歩くと明らかに暗い。京都の夜の暗さに言及する人あんまりいないけど、夜目が効きづらい私には衝撃的で、10年ぶりに京都に戻ってきた時に「こんなに暗かったっけ」って思った。
三条大橋は京都の中ではわりと歓楽街に相当するような場所だけど、それでも周縁部がすぐ真っ暗なのがわかる。さらに、去年の夏に酒田に行った時は、月の明るさを実感できるほどに夜の街はきちんと暗かった。
そんな中「日本の照明は無駄に明るい」と問題提起する人も多いけども、明るいのは東京と大阪など都市の一部であり、たいていの日本の夜は暗いのではないだろうか?
マスメディアだけが強かった時代、東京こそが本当の日本であり、地方は日本標準に追いつけない田舎でしかなかった。今も、かなりの部分でそうかもしれない。なにしろ選択肢がすごくあるのが東京なのだし。
でも、地方都市は地方都市でそれぞれ豊かだったり東京にはない文化があったりするの、まだ、あんまり気づかれてないと思う。イメージほど閉鎖的でも不便でもなかったりする。
なんとなくだけど、前の東京オリンピックが東京一極化のはじまりとすれば、今度のオリンピックは終わりのはじまりになるんじゃないかと、そんな気もする。文化庁、京都に来るらしいけど、そういう感じで機能は分散していくのかも。そうなってくると、今後、生き方に応じて自分に最適な都市を選ぶのも普通になっていくかもなーって思う。私はわりと楽観主義者で、人は人にとって良いもののほうに流れるという単純な感覚があるのでそう思う。なんか、東京っていろいろキャパ超えてるって思うもの。
.tokyoってドメイン付けたネットメディアが増えてるの、最初はなんだか気取ってていけ好かない感じもってたけど、あれは日本=東京という驕りではなくて、むしろ、うちはトーキョーにあるローカルメディアですよ、という意志表示なんだろうと感じるようになった。逆に、東京以外に住んでる人にとっては、インターネットのおかげで地方にアイデンティティ置きやすくなってる。そうやって、東京じゃないいろんなところに住んでいて、そこで感じることを普通に発信していく人が増えるといい。
それぞれの街に多様な価値観があって、それもひっくるめて日本なのだと思う。ちょっと前まで、あまり旅には出たくないタイプだったけど、今は、いろんな街に行ってみたい。