咎もなく誉もない日々

そうでない人がそれなりにやっていくブログ

自分のコンプレックス

昨日のコスメの話で、コスメに対する後ろめたさみたいのを書いたついでに、そういえばという感じで出てきた自分のコンプレックスをもうちょっと書く。

思春期のころからサブカルっ子だったので、正直ずっと尖った文化に憧れていたし、なんなら今だってそう。メディアに出てるような人と友達になりたい、なんならしれっとメディアに出たいというミーハー根性は断然ある。年取ってある程度落ち着いたというのもあるし、自分の生活に安住してるように見えるかもしれないけど、内心は案外そうでもなく、わりとギリギリってなるときもある。

幸か不幸か、東京で暮らしたり、インターネットで遊んでいるうちにメディア系の知人も増え、ワンホップぐらいで憧れる界隈の人たちが見えたりもするし、ワンホップぐらい先の人が有名人になったりもする。でも、なんとなく自分はそこから距離がある。

たぶん、自分には、そっち向きの適性というか縁というかそういうのがないように思う。スキルが、半径50cmぐらいの距離でのコミュニケーション、すなわち家とか馴染みの店でお酒を飲んで愚にもつかない話をすること、それからインターネットの水面下で息をすることに特化してる。それ以上に、表だって何かを作るとか世間に問うとか、そういう体力がない。このブログだってそうで、正直、何も高尚な要素がないじゃないの?

昔から、作家のエッセイを読むのがとても好きで、そのわりに作家の作品とか評論とかはあんまり読んでない。エッセイは、たいていの場合、本業である何かを書く行為とは別の部分の日常がすごく良い文章で書かれているから好きなんだと思う。作品自体を読むのはそこまで好きではなくて、生活のほうが気になる。日常生活にしか興味がないのではないか。

思えば、自分の場合だって、バンドをしてもステージで演奏するより打ち上げが楽しかったし、DJイベントもフロアで踊るより出演者と飲むのが楽しい。そうやって、本業を店じまいした後、リラックスした時に出て来る要素に興味があるということなのかと思う。結局、単に面白い人と飲み友達になりたいだけなのだった。まあ、自分が面白ければ面白い人からお声もかかるのだろうけど、たぶん面白くないんだと思う。寄稿の話とかこないし、会ってみたいともあんまり言われないし。そういう地味なところがコンプレックスだったりする。

何か心理セラピーを受けた時に「もし、何も制約なく好きな職業につけるとしたら?」って質問に「ロックスターのミューズとか、写真家のモデルとかになりたい」と答えたのを思い出す。来世があるならそういう生き方がしたい。「ライブに遊びに行ってるうちになんとなく誘われてボーカルやるようになりました」みたいなタイプになってみたい。