咎もなく誉もない日々

そうでない人がそれなりにやっていくブログ

新年

年末には、いつものインターネットの人々の忘年会があって、親戚の集まりみたいだなと思った。

年に一度ぐらい会って、仕事の話とか暮らしの話とか聞いて。しばらく合わないうちに若者がすごい成長してたりするのを見たり、そういうのはなんかちょうどいい距離感って感じがする。同じくインターネットの集まりで、毎年秋口に泊りがけで合宿っぽいことをする仲間がいて、そっちも親戚の集まりっぽい。

どうも、地縁血縁の代わりにネット縁みたいなものが一般的になりつつあると思う。ギークハウスみたいな感じのがテレビに出ると一部の特殊なライフスタイルのように言われたりするけど、そういう人間関係は結構普通にあると思う。

大晦日、なんとなく年越しで飲み会するのが恒例だったけど、ことしはなんか年末バタバタしてて計画立て忘れて、近所のインターネット友達とお寿司屋さんに行って紅白を見た。これもネット縁+地縁というやつで、インターネット上で地域情報を交換していると地元のネット友達というものが自然にできる。

家に帰ってきてskypeで新年の挨拶をしたら安心して眠くなってしまって寝た。久々の熟睡。

しかし、恋人がとても遠くに住んでるの、大丈夫かと思ったけど案外良いものだった。それぞれの生活が続いていくなか、たまに連絡してほっとしたりするのが何だかちょうどいい。いつでも会いにいけるぐらいの近くにいると、たぶん会いすぎてお互い疲れてしまうんじゃないかと思う。昔そういう失敗をしたこともあるし。

元旦は実家に帰って、兄とお酒飲んだ。昨年酒燗器もらって、それについてたアルミちろりの使い勝手が今ひとつで、ずっと錫のちろりが欲しかったんだけど、実家にドンピシャのが死蔵されてたのでもらってきた。うれしい。

で、二日は家飲み。三日は娘とカラオケ行ってサイゼ行ってあっという間に年末年始が終わった。休みが足りない。

今年の抱負

自分なりのちょうどよさを大事にしたいです。
体力も時間も無限ではないので、その条件の中でもっとも自分を幸せにする選択をしていきたい。

読んだ

60代 シンプル・シックな暮らし方 それは、小さな工夫の積み重ね

60代 シンプル・シックな暮らし方 それは、小さな工夫の積み重ね

まだ先の話だけど、自分は何かとスロースターターなので今のうちから老後の暮らしはイメージしておいてちょうどいいぐらいだと思って。元義実家は完全に収納破綻ハウスだったし、実家もけっこうひどいし、自分も注意欠陥マキシマリストである自覚はある。

この本、私はすごくいい本だと思ったんだけど、amazonのレビューが賛否両論。ドライな語り口だし、特に人間関係に関して突き放し気味だし、紹介する商品の銘柄だけではなく、サイズまできっちり書いてるところとかちょっと嫌悪感持つ人もいるんだなと思った。でも、私にとっては、ふわっといい感じのほっこり丁寧な生活を紹介しているのではないところがよかった。

レビューではどっちかというと書かれている内容に対して道徳的な是非を問うようなものもあったけど、それ以前のところでなんかみんな傷ついてるような感じだった。暮らしを細かく分析し「こういう理由で私はこうしている」ということを鋭く書くこと自体によって、自分のやり方を否定されたように感じる人も多いのだと思う。

暮らしは人それぞれの細かいこだわりの積み重ねで、あるやり方の効率の良さを説けば説くほど、そのやり方ではない人を傷つける可能性をはらむ、そういう感じがある。(そういうところで傷つくのもなんか違うと思うんだけど。しょせん人は人だし。)

なんかそういうこともあって、世間がどうあれ、とにかく自分に最適化していこう、という気持ちを新たにしたのでした。